当社のあゆみ
1938(昭和13)年10月、文化集合住宅の建設を企画していた川崎市は、労働者宿泊所及び工員寮舎(1,000名収容)と分譲住宅(300戸)を建設した。
しかし、発展途上にあった工業都市川崎に於いては企業の要望を充足できず、1938(昭和13)年11月8日川崎市役所に川崎市内に所在する大手企業9社の代表者を招請、各社から選任された実行委員と共に住宅建設の具体的調査研究を重ねた結果、予算の制約を受ける市事業とは別個に、住宅供給を目的とする会社を設立することを決定した。
新会社は日本鋼管より出資金充当分の寄付を受けた川崎市と、東京芝浦電気、三菱重工、富士通信機製造等大手企業8社が出資し、1939(昭和14)年5月2日に川崎住宅株式会社として発足した。
その後は、1944(昭和19)年までに分譲住宅1,597戸、労働者用寮・寄宿舎50棟(5,300名収容)を建築するなど事業は順調 に発展していたが、第二次世界大戦の戦災により建物施設の大半を喪失した。
戦後は、一時社名を川崎復興株式会社に変更し、戦災により甚大な損害を被った川崎市の復興事業に社業の重点を移した。この間、会社経理応急措置法等の諸法令の適用を受けたことにより、1950(昭和25)年に株主のうち大手企業の大半が資本を撤収した。
復興事業としての区画整理および整地事業の一応の達成に伴い、1951(昭和26)年9月に社名を川崎中央不動産株式会社に変更し、一般不動産会社と同様の営業目的により事業展開する企業となる。
1955(昭和30)年1月28日、社名を設立当初の川崎住宅株式会社に変更、民間企業としては当初数少なかった公団型の住宅を建設する等、良質な賃貸住宅の供給を継続する。
2003(平成15)年7月1日には社名を株式会社KJライフクリ工イトへ変更し事業の多角化を模索したが、2008(平成20)年7月1日に川崎住宅株式会社に復帰、勤労者向け住宅の供給という会社設立当時の社会的使命にも立ち返り、賃貸事務所・店舗、駐車場等の提供を含めた事業活動を通じて、まちづくりと地域社会の発展に貢献することを志す企業として、新たな発展 の段階に入った。
2013(平成25)年8月31日には、武蔵小杉市街地再開発事業の一環としての新賃貸マンション(139戸)が完成し大規模賃貸住宅の管理モデルを確立すべく取り組むなど、経営環境の変化を踏まえて積極的な事業改革も進めている。
沿革
1939年05月 |
川崎住宅株式会社発足。 |
1945年04月 |
同月以降相次ぐ空襲により資産の多くが被災。 |
08月 | 会社経理応急法の被指定会社となり、会社存亡の危機に直面。 |
09月 | 戦災により甚大な損害を被った川崎市の復興事業に事業の重点を移し、社名を川崎復興株式会社に変更。 |
1950年09月 | 同月頃迄に持株会社整理委員会は保有株式を売却。 |
1951年09月 | 復興事業としての区画整理および整地事業の一応の達成に伴い、社名を川崎中央不動産株式会社に変更。 |
1955年01月 | 社名を川崎住宅株式会社に変更。 |
2003年07月 | 飲食事業・会員制クラブ事業等への新規進出に伴い社名を株式会社KJライフクリエイトに変更。 |
2007年12月 | 株式会社ジョイント・コーポレーションによる株式取得により同社の子会社化となる。 |
2008年03月 | 飲食事業・会員制クラブ事業等からの撤退。 |
07月 | 社名を川崎住宅株式会社に変更。(復帰) |
2011年06月 | 株式会社ジヨイント・コーポレーションの持株全部を自社株買い取りにより取得し資本関係を解消。 |
2013年08月 | 小杉3丁目市中央地区市街地再開発事業による武蔵小杉の賃貸マンション「ケイジェイ・レジデンス武蔵小杉」竣工。 |
2019年01月 | 構造躯体や意匠に国産木材を使用した木造店舗「塚越店舗」を竣工 |